受け止めることの難しさ、大切さ(脱線編)

ついに我がブログも荒らされてしまいました。
(半分くらい自分で召喚したようなもんだけど)
ただ、この荒らしは甘んじて受け入れようと思う。


世の中には、自分の気にいらないことや、
はたまた、自分にとって不利益なこととたくさん出くわす。
そういったものを避けていくことはたやすい。
しかし、それを受け入れることをやめてしまうは
ぬくぬくコタツの中にいるのと一緒だと思う。
価値観の近い人、自分のことを可愛がってくれたり
誉めてくれたりする人の間で寄りそっているのは
非常に気持ちの良いものである。
自分自身、長いことそういう場にいることが
できればと思っている。


ただ、そういうケース以外で価値観の違う人や物と出会ったときに、
それをいったん受け止めることができるかどうか?
それはその人の見識、視野を広げる重要な
ファクターであると思うわけである。
その昔、スピードスケートに「スラップスケート」が
導入された時の清水宏康と堀井学の例ではないが、
抵抗のあるものを受け入れようとする姿勢は大事だと思う。
(ちなみに堀井氏が類稀なる努力家であることは
知っているつもりである)
自分自身、そううことが自然とできるような
度量の大きい人間になりたいものである。


と、大きく脱線してしまったわけですが、
基本的には荒らしさんにも寛容に行きたいと思う。
ただ、受け止めるといっても、その人それぞれの度量や限度があるわけで、
個人名ないし人物が特定されてしまうような名称は
今後禁止とする。当然、偽名も(今までのは見逃しますが)。