卒番と沸点

2/13の日曜日、大学時代に入っていた放送研究会の後輩(1コ下)が主催する
「卒業番組発表会」なるものに行ってきた。
ざっくりとした感想を言うと、「素晴らしい」の一言。
出演者だけでなく観客をも巻き込んでの「一大エンターテインメント」であった。
なおかつ彼等の人間性も十二分に垣間見ることができ、非常に懐かしさも感じた。
イベント自体への注力がすごかったため、各作品にまでは手が回らなかった面もあったが
それでもDJ陣のレベルアップには感心させられた。
また、発表会の内容自体に関してもそうではあるが、それ以上に彼等の「がんばり」
に対して賛辞を送りたいと思う。完全燃焼。非常に良いものを見せていただいた。


さて、その「がんばり」についてであるが、
果たして人は何をもって「がんばった」とするのだろうか?
おそらくその基準には個人差があって、ある人にとっては「がんばった」であっても
別の人にとってはそれほどでもなかったりするような場合がある。
通常、水は100℃で沸騰するわけであるが、これが人によっては40℃とか50℃で
沸騰はじめてしまったりするようなもので、これでは美味しいお茶も飲めないことになる。
自分が彼等にとって上級生であった時、正直なところ彼等の沸点は懸念材料であった。
しかし彼等はいつの間にか、高いところに目標を置き、
その目標を100℃の沸点でもって乗り越える力を身につけていた。
そして最後に先輩であった僕らに、そして後に続く後輩たちにその力を見せつけるという
粋なまねを見事にやってくれたわけである。とてもあっぱれな「幕引き」であった。


社会に出た今の自分は、当時よりも「がんばり」の質が上がり、
当時MAXパワーでやっていたことよりも数割増しのことができるようになった。
たぶん昔の自分であれば、卒番を見ても今みたいな感情を持つことはできなかったと思う。
良い時期に、良いものが見れた。
この体験と、今の感情というのは、これからの糧にしていきたいと思う。